恩師栄先生

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栄先生


榮俊一(さかえ・しゅんいち)さん(富山市上滝・大山)

[上滝中学元校長・元大山町教育長] ■母校で23年 生徒見守る  地元・上滝中学校で理科教諭や教頭、校長として計23年間を過ごし、生徒たちに自然と触れ合う大切さを伝えた。2001~05年は旧大山町の最後の教育長を務め、国際交流にも力を尽くした。  大山中心部・上滝地区の生まれ。山菜採りやアユ釣りなど自然に親しんで育った。上滝中から富山高、富山大を経て、1962年に教員に。定年退職まで38年間のうち約6割は母校で勤めた。  校長だった95~99年度は、「校長室だより」を毎月発行。自身の釣りや登山の記録のほか、禁煙の体験談も率直につづった。その中では、意欲的に行動し何かをつかみ取ることの大切さ、郷土を愛する心の重要性、社会人としてどう生きるかを考えた上で進路選択することの大事さといったメッセージも盛り込んだ。  妻で同じ教員だった君子さん(72)は「自分が生き生きとすれば、子どもたちもそうなると考え、よく自然の中に足を運んでエネルギーをもらっていた」と振り返る。生徒にはにこやかに接し、厳しく指導する時も根っこに優しさがあると感じさせた。2000年春には、生徒や教員が「校長先生の卒業式」を企画。「卒業証書」を贈られ、何よりも喜んでいた。  教育長を務めた後は「夢(む)職(しょく)」と記した名刺を持ち、北日本新聞カルチャー教室で洋画の指導も受けた。高校時代、美術教員に「センスがある」と言われたのがうれしく、いつか学びたいと思っていた。  09年に肝臓がんが見つかったものの、自宅でこつこつと大山や立山の自然を描き、富山市美術展で奨励賞を受けるほど腕を上げた。描いた作品は約50点。上滝公民館での展示に関わったことがある同公民館主事の大嶋啓子さん(54)は「シンプルで穏やかな色使い。人柄が伝わる絵だった」と言う。  2月に息を引き取る直前、ある幻覚を見て言葉を発した。「校長室に来た男の子が『入学したい』と言うから、許可してあげた。うれしそうだったよ」。こう話すのを聞いた君子さんは「最期まで先生だった」。穏やかな様子で旅立ったことを、家族みんなが喜んでいる。(政治部次長・楠浩介) 2016年2月8日、76歳で死去